他人は他人。自分は自分。比べるほどナンセンス。が、しかし・・・


12)

あの人と比べて、なんで自分はできないんだろう。


自分はあの人みたいに
なんでかっこよくない(かわいくない)だろう。

あいつより俺のほうができる。

みたいに、どうしても、人は、
他人と自分を比べて一喜一憂するところがありますよね。


他人は他人。自分は自分。比べるほどナンセンス。


というような言葉を誰もが一度は
聞いたことがあると思います。

だって、SMAPの「世界で一つの花」なんて、
もろにそれを表した曲だし、
だからこそ、多くの人が共感し、
大ヒットにもなったのでしょう。


この「世界で一つの花」がヒットするということは、
大多数の人々は、

他人は他人だし、自分と比べるのは無駄

ということを“頭の中では”理解できているとも
考えられますよね。


でも、実際はどうでしょう。

比べまくりだし、落ち込みまくりです。


残念ながら、人は往々にして比べる生き物だし、、
それは本能に近いものがあります。


小さい頃を思い出してほしいのですが、
友達がなにかおもちゃを買ってもらったとして、
それが羨ましく、欲しいと思ったら、親に、


「○○君は××買ってもらったんだってー!
 僕にも××買ってよー!」


と、思いっきり比べてるし、
それを交渉材料に使うぐらい、
極自然に人と他人を比べているのです。


そして、結局、

「他の家は他の家!うちはうちでしょ!」

という、親も頭では分かっているからこそ、
理想論を押し付けてくるわけです。
その親も誰かと自分を比べているはずなのに。


学校の教育ですら、体育での身体能力を測定したり、
テストの順位を公表したりで、

競争を促そうとするものになっているので、
そうなるのは仕方のないことなのかもしれません。


僕が前の会社に入りたての頃だって、
先輩から同期と比べられて、

「○○(同期)はできたけどね~」

みたいに、やっぱり人と人を比べてしまう
文化が根強く染みついているのが分かります。


人それぞれ能力も考え方も違うし、
元々比べるものじゃない。


ということを頭では理解できるけど、
結局は比べてしまうのが人間だということです。


別に比べることが悪いと言っているわけではないですが、

比べて、そこで劣等感を感じるのはどうか?

ということを言いたいのです。


僕は人間は食べ物と一緒だと考えています。

例えば、僕の好物に、

から揚げと苺のショートケーキがあります。

どちらもおいしいです。
しかし、どっちがおいしい?と聞かれると、
どっちもだよ!と答えるしかありません。


なぜかっていうと、

おいしいはおいしいけど、
おいしさのベクトルが全く違うのです。

から揚げは、おかずとしてのおいしさ。
ケーキは、デザートとしてのおいしさ。


はっきり言って、比べることができない。
そこに優劣はつけられないわけです。


要は人間も同じようなことをしているのです。


どの人間も優れた面があるはずなのに、
無理に比べようとしている。


学校、会社などの社会に属せば、
先輩や上司に比べられて、
いわれもない批評を受けるかも知れません。


しかし、その先輩や上司もある価値基準をもとに
あなたと誰かを比べて、何かを言ったとしても、
それはあなた自体を否定しているわけではないということです。

例えば、上司から、

おまえはなんでできないんだよ!

みたいに言われたら、
なんか、自分自体を否定されている気がしますが、

そこでの仕事ができるかできないか?

という価値基準の元判断しているだけで、
あなたという人間自体が否定されているわけではないですよね。
(もし、ただ感情的に人間性を否定してくるなら、
そんな話は聞かなくていいのです。)


人間はそれぞれ特性が違うんだから、
人から言われたことが必ずしもできるとは限りません。


ショートケーキがから揚げの役目を果たせないのと同じです。


だからこそ、人と自分を比べて、
必要以上に落ち込む必要はないのです。


比べて、自分に足りない部分を導き出すなど、
参考にするのはいいですが、

何で俺は・・・と落ち込んでしまうのは、
本末転倒もいいところです。


理想は、


人との比較はナンセンス

と、自分と他人を比べて一喜一憂すること自体を
やめるのが一番いいのですが、

どうしても比べてしまう!

ということであれば、


自分とその比較対象である人で、
自分の方が優れている面を探しだせばいいのです。

例えば、
みんなに慕われる人気者がいたとして、
俺はあいつみたいに、気の利いた会話ができない。。。

と思ったとしましょう。


そこで、

奴は盛り上げることが上手だが、
俺は、1対1で真剣に相手と向き合うのがうまい。


と相手も認めたうえで、自分も認めるのです。


あいつは確かにすごい。だけど、俺は俺でいいところがある。


と、自分を肯定していければ、
無駄に気分を暗くすることもなくなるでしょう。


自分と人を割り切るという意味を込めて、
セルフディバイドと名付けておきましょうか。


結局、人それぞれ持ってるものが違うのに、
同じ仕事をやらしたら、差もでてくるのは
仕方ないんですよ。


もしかしたら、あなたはから揚げなのに、
ショートケーキの役目を果たそうとしていませんか?


ということなんですよ。


自分が何ができて、何ができないのか。


そこを理解するかしないかが、比較の苦しみから
抜け出すポイントですね。

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この記事を生み出してしまった人

ナオトノーマルキャンセラー
高卒で鹿児島から上京。東京の会社に就職するが通勤中、
毎日会社が爆発する妄想していたら、
いつの間にか辞めていた。(会社が爆発したわけじゃない)

普通を避けるように生きている為か、
普通とは少しズレている可能性のある男。
行動指針はよりおもしろい方へ。つまらないことが何よりも嫌い。

日本をもう少しだけおもしろくするために、
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2 Responses to “他人は他人。自分は自分。比べるほどナンセンス。が、しかし・・・”

  1. ニコ より:

    泣けてきました。
    ありがとう。

    • ナオト@ノーマルキャンセラー より:

      コメントありがとうございます!
      お役にたてたのなら、幸いです!

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